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衣通姫と茅渟宮

スタッフブログ|2018.07.03 UP


大阪湾には茅渟海(ちぬのうみ)という古称があります。

初代天皇・神武天皇の東征の際、神武天皇の兄の五瀬命(いつせのみこと)に長髄彦(ながすねひこ)の放った矢が命中し、負傷した五瀬命が現在の大阪湾で矢傷を洗ったことから血沼海(ちぬのうみ)と呼ばれるようになったそうです。

 

時代は下って第10代天皇・崇神天皇の御代には、現在の泉州地域は茅渟県(ちぬのあがた)と呼ばれていました。

 

さらに時代は下って第19代天皇・允恭天皇の御代。

衣通姫(そとおりひめ)という本朝三美人のひとりに数えられる女性が登場し、そのお住まいとして現在の泉佐野市上之郷に茅渟宮(ちぬのみや)が造営されました。

 

なお、衣通姫は『古事記』と『日本書紀』で別の人物を指すのですが、茅渟宮が登場するのは『日本書紀』のほうになるので、その人物は、允恭天皇の皇后・忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の妹の弟姫(おとひめ)になります。

 

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茅渟宮跡(※ 画像は泉佐野市観光協会公式サイトより)

 

その美しさがしても輝くという意からその名が付いた衣通姫。

允恭天皇は衣通姫を妃に迎えようと、中臣烏賊津(なかとみのいかつ)を使いに出します。衣通姫は、姉が皇后であることを理由にお断りするのですが、粘る烏賊津に根負けして入内します。

 

そして、允恭天皇が衣通姫を寵愛するので、姉の皇后の嫉妬を避けるため、衣通姫は茅渟宮に移り住むことになった、という経緯です。

 

衣通姫はまた、和歌の道に秀でた人物としても知られ、和歌三聖や和歌三神のひとりに数えられます。美人で歌人といえば平安時代の小野小町が有名ですが、紀貫之が小野小町を「衣通姫のようだ」と評していたりします。

 

ホテルから茅渟宮跡へは運賃無料いずみさのコミュニティバス(南回り)が便利ですよ。

(最寄りのバス停は、ホテルが「安松北」、茅渟宮跡が「上之郷」になります)

 

絶世の美女ゆかりの地へ、ぜひ一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。


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